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2017年12月

2017.12.18

強がれるのは強いから

 たとえばいつまでも結婚しない友人に、

「いまは良いけれど、年をとったら淋しくならないかな?」

と訊ねたときに、

「そうだよね」とか「いまだって淋しい」

と飾り気のない返事が返ってくると、ずっと仲良くしていたいと、してあげたいしてほしいと感じるのだけれど、

「ひとりが気楽」だとか「そんなに長生きしない」とか言われると、

いますぐに放っておきたくなります。

 本人がなんと言おうと、淋しそうに見えたから心配しているのですから、こういうかわいげのない返答をする人は嫌われます。嫌われないまでも嫌がられます。少なくとも好かれません。

 具合がわるそうな人を見かけたら、

「だいじょうぶですか?」って声をかけるのが人情です。

 たいていは、

「だいじょうぶです」って答えますけれど、だいじょうぶじゃないときは「持病の癪が……」とか言います。だいじょうぶな状況でも、具合わるそうにして心配かけたからシャキッとしなきゃと思います。

「ほっといてよ」とか「余計なお世話」とか言っちゃうと、

「野垂れ死ね!」と思われても仕方ありません。

 生意気な病人や、文句が多い生活保護者と一緒です。

「淋しくなんかない」「家庭も子供も持ちたくない」「仕事がたのしい」「他人とは暮らせない」など、いろいろな言い分を聞いてきましたが、なにかをしない言い訳は、どれもネガティブに聞こえます。

 常に新しいことにチャレンジして、死ぬまで勉強するような立派な人にはなかなかなれませんが、もう生活も性格も変わらない、なんの波風もたたない、山もなければ谷もないような人生ってたのしいですか? 生きている甲斐がありますか?

 ダメだと思いながらも弱音を吐けなくて、無理して強がっている人と、自分の自信も弱さもさらけだして助け合って、ありのままで生きている人と、どちらがほんとうに強いですか?

 真実は弱音を吐けなくて苦しいのだけれど、耐えきれて乗り越えられるのなら、事実として強いのかもしれません。なにも、解決するだけが方法ではなく、切り捨てたって逃げだしたってやり過ごしたって良いのですから。誰にも、なにも言わなくても。

 けれどもそうした態度は、余計孤独にするかもしれません。孤立する要因なりそうです。

 孤独はわるいことではないので、孤独をたのしむのは良いことだし、ステキです。僕もひとりが好きで、滅多に誰かに会いたいとか一緒にやりたいとは思わないのだけれど、弱いところは平気で誰にでも見せます。そもそも人より優れたところがないので、ダメなところしか見せられないのですが、隠したり繕ったりが面倒くさいだけなのですが。

 カッコつけて弱みを見せなかったり、困っているのにを相談しなかったり、人に頼らない人を信用しないというのは、自分を優位にしたいのだと思います。なので、人を誉めたり人に感謝したりするのもヘタです。他者を評価して認めると、自分が下の立場になると勘違いしています。

 力もあり尊敬もされている者は、他人を認めて受け入れる大きさを持っているものです。決して立場が下だから未熟だからといって、人を貶したりバカにしたりしません。してはいけません。上から下にそれをしたら権力ですから。権力を振りかざすほど、下品で下劣な行為はありません。

「ありがとう」「ごめんなさい」のあとに「でも……」って言ってはいませんか?

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