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2012年4月

2012.04.20

新しい遺跡 【再】

 以前の記事を整理していたら、最近話題の原子力発電所のことを書いていたので、ここにもう一度発表しようと思います。

 二千三年五月の記事で、もう九年も前のものですが、当時、友だちと七人で『月刊アクタ』というホームページをつくっていて、毎日や毎週では更新できないけれど、月に一度くらいなら書けるんじゃないかと、それぞれコラムを掲載していたときのものです。『有情論1』に収録されているので、物好きな方は読んでいるかもしれませんが全文を載せます。

★★★

【新しい遺跡】

 関東に住んでいる方は最近、夜になると部屋が暗いなあと感じたりしていませんか?

 東京電力では、十七基ある原子力発電所の全てを運転停止にしているそうで。僕は最近になってそれを知って(ナサケナイ)びっくりしてしまいました。首都圏の電力供給は、その四割を福島・新潟の原発に依存しています。原発がないと当然電気は足りなくなるので、現在は火力発電所を再稼動させたりしてしのいでいます。
 けれどなんだか、電気「足りちゃってるんじゃないかなぁ?」って気もしませんか? それでだいじょうぶなら、評判の悪い原発よりも石油を大量に使う火力のほうでも良いのではないかと感じる人たちもいるのではないでしょうか。

 これから夏をむかえて、完全に足りなくなったときにどうなっちゃうかが、問題なのでしょう。まず乗り切れないという意見も、少なくないみたいです。
 暗くなるとかテレビが見られないとか食べ物が腐るとかいうのなら、大したことではないけれど、コンピューターによる情報管理やセキュリティシステムは、電源がないと致命的な打撃を受けてしまいます。ITとかインターネットとかいっても、万能ではないし安全でもないわけです。新しいものが生まれると、新しい不安も生まれます。
 子供の頃に、たまに停電なんかになると、ちょっとドキドキワクワクしたけれど、ゆとりなんかない大人たちには大ショックなのでしょうね。

 ところで建設当時、原子炉の寿命は三十年とされていたものが、ナンダカンダといつのまにか「六十年はだいじょうぶ」という国の見解になってしまいましたが、それにしてもいつかは完全稼動停止になるわけです。
 たとえば、東海一号では放射能レベルの低下を待つために、十年以上をかけて解体・処分がおこなわれています。核廃棄物の処理だけでなく、発電所自体の処分にも問題を抱えているのです。

 それでも、莫大な費用をかけてつくって、莫大な費用をかけて壊すのだから、使える間はきちんと管理して営業して欲しいものです。

 それから、原子力発電所のように危険ではないのかも知れないけれど、東京では『汐留シオサイト』『品川インターシティー』『六本木ヒルズ』などの超高層ビルの完成ラッシュです。

 が、これがまたオフィスもテナントも人出もまばらなビルがたくさんあるみたいですよ。僕は『丸ビル』にさえ、行ったことがないけれど『晴海トリトンスクエア』なんて聞いたことすらありません。

 僕の身近な話では、赤羽の『東京北社会保険病院』が突然の開設中止。
 新聞や雑誌・テレビでも度々取り上げられているので、知っている方も多いと思いますが、妻が永年勤めていた大学病院をやめて四月からそこで働くことになっていたので、まったく他人事ではないんです。

 僕たちは病院から徒歩数分のところに住んでいるのですが、大きな建物だけがモニュメントと化しています。
 ずいぶんと地域の住民には望まれていたものなので、残念でならないし失業した人も(病院のスタッフだけではなく、まわりで開業するはずだった薬局などもあって)すごく大勢います。中止するにしても、もっと早く決めてくれれば、妻も大学病院をやめなくてもべつにかまわなかったのに……。

 日本中に巨大建造物の廃墟が出来上がって、はたして構造改革とか景気回復が進んでいるのでしょうか。
 隣国からミサイルが飛んでくる前に、内部から崩壊しちゃったりしたらどうするんだろう。

★★★

 無駄なものは、はじめからつくらないほうが良いし、やるならちゃんとやってくれ、という内容ですが。当時から、原発はなくてもだいじょうぶだという意見みたいですね、僕は。

 まず、地球温暖化を一切信じていないので、火力発電で良いと思っていますし、お金がかかるのならそれは払いますが、だれかが法外に儲けているなら許せません。

 昨年は計画停電で脅していましたし、今年は値上げをすると脅して、なんとか原発を再稼働させたいと腹黒い大人たちは考えているようですが、それはやはり電気をつかう人たちの利益になるからではなくて、電気をつくる人たちの利益を見込んでの考えなのでしょう。

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2012.04.10

負けず嫌い嫌い

 たとえば十年以上も人として暮らしてきたら、たいてい何人もの負けず嫌いな人に出会うにちがいありません。
 それは同級生だったり友人だったり先生だったり、悪い場合は家族にいたりもします。

 この「負けず嫌い」という言葉は「負けず」と「嫌い」だと思うのですが。
「負け」と「ず嫌い」かしら?
 いや、「負けず」「嫌い」ですよね。

「負けず」はふつう、負けないということだと思うのですが、そうすると負けないことが嫌いとなって、負けず嫌いの意味になりません。
 負けるのが厭で、勝ちたがるのですものね。
「負ける嫌い」という意味じゃないといけません。


 これを調べてみると、人気の『広辞苑』では。

〈ズは否定の強調から挿入されたもの〉


 最近最新第七版がでましたが、僕が持っている『新明解国語辞典』第三版では。

〈「負け嫌い」と「負けず」の混合〉


 インターネットで調べてみると。

〈「負け嫌い」と「負けじ魂」の複合語〉

〈ズは打ち消しの助動詞ではなく、接頭語で種々の語に付いて、並みのことでない、程度が一通りでないの意を表す「―太い」「―ぬけている」のズ〉これは「ず嫌い」派ですね。


 諸説がまことしやかにささやかれているようですが、たいていの語源が信用できないように、どうして「ず」になってしまったのかは、河童の発祥とおなじくらい謎だと思っていれば良いでしょう。
 よくわからないけれど、そういうこと、ということです。

 この言葉とおなじように、負けず嫌いな人も、なぜそんなに負けたくないのかよくわからないところは、天狗の存在とおなじくらい謎ですから、不明な点ではピッタリな言いまわしです。


 いったいどうして負けず嫌いになるのでしょうか。

 前にも書いていますが、僕はひとりっ子の特性か、もって生まれた性質か、競争心があまりなくて勝負が好きではありません。
 まず、他人にほとんど興味がないので、自分以外の人に勝ってもそれほど感動しませんし、負けてもそうです。
 たのしくもうれしくもたいしてないし、悔しくも悲しくもあまりありません。
 他人と自分とを比べて、良い悪いを判断する感覚が未熟なのかも知れません。

 みんながしているから自分もして良いとか、だれもやらないからやめておくといった考え方が、なかなかできません。

 実際のところは、あまり要領よく生きられないほうなので、自分以外のことなど気にしている暇がないというのが実情です。


 だからといって、勝って全くうれしくないわけではないのですが、勝ちに執着がないのです。
 勝ちに価値を見いだせません。

 勝つということは、負ける人がいるわけで。その人の前で、大喜びをするような態度が、ちょっと信じがたいんです。
 僕は、身近に他人をすごくバカにする人がいて育ったので、人をバカにしたり、蔑んだりする行為に、とても嫌悪を感じます。
 できれば、自分はしたくないと思って生きています。

 なんでも勝ちたがる人って、たぶんこの人を見くだす気持ちに優越感をひじょうに持つのでしょう。
 優越感を持つことで、自分の存在を肯定できる気になるのかも知れません。
 そんなことは、自分でしっかりと立っていれば良いことで、他人と比べることもないし、他人が決めることでもありません。


 きっと、異常に優越感が好きな人は、劣等感も感じやすいのではないでしようか。
 だから、自分以外の人に認められたくて、上にでたがるのかも知れません。

 だって、負けず嫌いが発覚するときって、負けているときか負けそうなときですからね。

 余裕で勝っているときに、負けず嫌いな言動は、それほど前面にはでないものです。
 安心しているので、心にも言葉にも振る舞いにも、ゆとりがあります。ところが、負けてしまったり、窮地に追い込まれると不安になって、心も言葉も行動も限界ギリギリ。
 ムキになって、なんとか自分の立場を引き上げようとします。


 けれども、そのあと勝負に勝ったとしても、ムキになった時点で人としては完敗なことに気づかないのでしょうか。

 勝負の世界に生きる人、たとえばスポーツ選手なんかは、負けず嫌いだと考えられがちですが、見ていると、案外そうでもありません。当然、自分が勝負しているところでは、ぜったいに勝つつもりで努力しているのはわかりますが、その他のことではけっこう負けても平気です。
 勉強なんか、全然できなくてもだいじょうぶ、って顔してます。


 ところが、負けず嫌いな人って、なんにでもムキになって、負けを認めなかったり、謝らなかったり、知らないと言えなかったりしませんか?

 僕は、これが面倒くさくて、負けず嫌いな人が嫌いです。係わりたくありません。

 しかも、肝心の仕事や家庭のことでは、ちっともがんばらないで、完全に負けている人が多くありませんか。

 一流の人と、ムキになるところが正反対です。けっきょく、なにも持っていないんです。


 負けないところは、一つか二つでじゅうぶんです。これだけは負けないと努力していれば、他人を蔑んだり、自慢したりしなくても、他人に劣るところを平気で見せても、人は敬意を持ってくれるはずです。

 新入生、新社会人のみなさん。なんでもできる、なんでもやることなんてありません。
 なにかできれば良いんです。

 けれども、そのなにかを見つけるために、なんでもやってみてください。
 そして、なにをするかは、人より勝るからではなく、自分の心で決めてください。

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