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2011年12月

2011.12.31

明るい話題

 毎年のことですが、暮れになると今年亡くなった有名人の追悼番組が新聞やテレビにでますが、今年は僕にとっては感慨深い方が亡くなりました。

 一人は、キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さん。
 今年初老の僕はキャンディーズが活動していた時期は、まだ未就学でしたが、「8時だョ!全員集合」とか「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」でコントをやったりしている姿がとても好きで、少しおくれてデビューしたピンクレディーとたまに比較されますが、断然キャンディーズが好きでした。ピンクレディーの熱狂は、ホントにすごいものでしたが。
 ピンクレディーもコントには参加していましたが、ちょっと照れみたいなのがあって、キャンディーズの三人は思いっきりよくやっていたので評価が高い。同じような理由で、桜田純子さん太田裕美さんも好きでしたね。

 ランちゃんは勘が良いのかコントもトークもじょうずで、ぼやっとした顔もかわいくて人気がありましたが、僕はポワンとしたスーちゃんの雰囲気や、あの太い足が好きでした。ミキちゃんは二人に比べるとおとなしい感じで、大人に人気があったと思いますが、いま僕も大人になってキャンディーズの映像を見ると、ミキちゃんはマジでかわいいですね。田中好子さんの葬儀で久しぶりに見た藤村美樹さんも、芸能界から離れてだいぶ経っているのにきれいでした。
 それにも増して、田中好子さんの心はほんとうにきれいでしたね。

 それから立川談志さんが亡くなりました。
 僕は、テレビで落語を聞くことは子供のころにもありましたが、生で聞くようになったのは談志さんからなので、とてもショックなことでした。残念だったとか、悲しいとかいうのではないのですが、なんだか動揺するところがあるというような状態です。
 かつては毎年、年末の中央会館へ行っていたこともあったのですが、ノドの手術をしたあとは、やはり最高の状態ではないのだろうと感じたので談志さんを生で聞くことはありませんでした。
 志の輔さんを中心に聞くようにしていたのですが、志の輔さんはヘビースモーカーらしく、すでにノドが潰れています。もしかしたら、談志さんよりもはやい時期にしゃべれなくなる可能性があるので、談志に間に合わなかった人はなるべく早めに志の輔さんを聞きに行くことをおすすめします。
 落語の名人と言われる人は、桂文楽も古今亭志ん生も声が高いんです。低音の魅力なんていって、低い声が落ち着くように言いますが、じつは高い声って心地良いらしいですよ。甲高い声なんて、直に脳に刺激を与えるみたい。小さい子供も、声が高い人の方が好きですよね。お母さんの声に近い方が、落ち着くんでしょうね。

 古今亭志ん朝も春風亭小朝も春風亭昇太も、きゅんと甲高い声をだしたりします。
 だから、しゃべる仕事の落語家にタバコはかなり悪いと思います。志の輔さんはもう手遅れですが、すぐにでも禁煙してもらわないと名人になれずに終わってしまうかも。談志さんも、タバコを吸わなかったら、死ぬまで落語をできたかも知れませんね。あんなに落語が好きだった人なので、死ぬまで噺をさせてあげたかった。

 若いときには、二十年先のことはわからないし考えません。先のことを考えたら、もう若くはないですから。
 僕はもう若くはないので、先のことも考えなくてはならないのですが、もちろん二十歳のころにいまの自分を想像できませんでした。現状は希望とはだいぶちがうのですが、悪くはないと思います。少なくとも、家族に恵まれてしあわせに暮らしています。結婚できないと思っていましたし。

 若い男性は、案外結婚できないと思っていることが多いと思います。そのときは、お金もないし自信もないし。僕もそうでした。
 しかし、二十年経ってもお金もないし自信もないけれど、僕はうまく結婚できたのですが、まわりにはまだ結婚できない友人が何人もいます。たいてい、状況としては僕よりも結婚できるはずなのですが、なにかが足りない。
 いったい、なにが足りないのでしょうか。

 そんな、なにか足りない友人にも、絶対に結婚してほしくて、何度も女の子を紹介していました。なにか足りない同士のお見合いみたいなもので、なかなかうまくいかなかったのですが、去年の終わりころに紹介した女性と今年は付き合いだして、いまもうまくいっているようなんです。どうも、引き合わせてあげた僕に対する感謝の気持ちは薄いみたいで、経過報告は全然ないのですが。もう出会ってから一年経つのですし、二人ともアラフォーですし、正月には互いの親に紹介して、春か夏には結婚してくれるとうれしいのですけれど。

 今年は、大きな震災があったり、民主党政権はなんの役にもたたないどころか全く政権公約とはちがったことしかやらなかったりと、なでしこジャパンにすがりつきたくなっちゃうくらい暗い年でしたから、個人的にでも結婚とか出産とか合格とか受賞とか、明るい話題があると良いですね。

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2011.12.24

朝鮮半島

 以前、第百十六段「名付け」の回で、「聖徳太子や小野妹子の時代では、男子の名前でしたが」と書いたのですが、ちょっとまちがってました。
 聖徳太子も小野妹子も男性なのはまちがいありません。当時、子をつけるのが男性に多かったのもたしかです。中国の「孔子」とか「孟子」の呼び名からきたものらしいのですが、子は先生という意味で呼ばれていたもののようです。日本では、それを実際の名前に使用したのですね。

 ですが、ちょっとちがっていたのは、聖徳太子は聖徳太子の名前ではなかったのです。
 昔の日本や中国では、名前がいくつもあったり、位の高い人の名前は敬意を表して呼ばないという慣習もあったので、実名が知られていないことも多く、字がわかっても読み方がわからないことがほとんどみたいです。
 しかも、聖徳太子は、彼が亡くなって百年以上も経ってから書物にでてきた一般の呼び名、あだ名のようなもので、本名は「厩戸」といいます。馬小屋のことです。馬小屋の戸口前で生まれたので、そうつけられたとも言われていますが、それは定かではありません。馬小屋なんて名前、当時でも現代でもそうとうなキラキラネームだと思います。イエス・キリストも馬小屋で生まれたけれど、そんな名前にならなくて良かったですよね。

 僕らの時代には聖徳太子(厩戸皇子)と学校で習っていたのですが、いまは厩戸王(聖徳太子)に変わっているそうです。
 皇族の方の本名を呼ぶことは現在でもないので、皇太子さまとか高円宮さまと呼ぶように、厩戸王を「うまやどおうさま」とは言っていなかったはずですから、たぶん上宮さまのように呼んでいたのではないでしょうか。

 その後「子」が明治・大正時代の華族で流行するとも書きましたが、平安後期には皇族の中で子がつく女性がおおくなったようです。
 清少納言が仕えた中宮定子(藤原定子)。百人一首「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」 の式子内親王。「ふじわらのていし」とか「しきしないしんのう」と呼んでいますが、本名は「こ」のはずなので「さだめこ」とか「のりこ」とかなのでしょうけれど、わかりません。
 ほんの少しまえまで、名前を音読みすることが敬意の表れだったので、逆に本当の読み方がわからないこともあるようです。松本清張、横溝正史、安部公房は、みんなが音読みするので途中でペンネームをそのまま音読みの名前にしたそうです。

 聖徳太子の時代、日本は朝鮮半島の国ととても親密だったことは学校で習いますよね。新羅・百済・高句麗なんていう名前をなんとなく覚えていませんか。

 ちなみに、歴史的に朝鮮半島と言ったり大韓半島と言ったり、呼び方は変わっているようです。
 呼び名って、なかなか面倒ですね。日本も外国からはジャパンなんて言われたりもしますし、そもそも日本という名が「日出ずる国」という意味で、これは中国から見て太陽が出てくる方角ということです。いつまでこんな名前を使っているんでしょうね。
 韓国ブームで、みなさん戦時中の国だと言うことも忘れて脳天気に旅行しているようですが、この国も外国からはコリアなんて呼ばれています。

 その韓国とおなじ朝鮮半島(韓国人は大韓半島と呼んでほしいみたいですが)にある、北朝鮮の総書記が急死されて、今週はちょっとした騒ぎになりました。少々緊張した状況でもあるようです。
 僕はずっと以前から、生きているうちに中国と北朝鮮という国はなくなるだろうと予想しているのですが、今回の総書記の交代で本当にそういう方向に向かうと良いのではないかと思います。

 なにも北朝鮮が滅びれば良いとは、全く思っていません。
 もともと飛鳥時代の新羅・百済・高句麗のように、朝鮮半島は三国四国といった複数の国にわかれていることがふつうで、中国に治められた高麗、朝鮮時代に一つになり、日清戦争後に独立国となり、こんどは日本に占領されて、日本が敗戦するとソ連とアメリカに再び二つに分けられてしまったわけですが。だから、ひとつにならなければならない、ということはありません。
 しかし、現在の北朝鮮の封鎖された軍事国家のまま、いつまでもやっていけるとは思いません。すでに国民の多くは飢えていると聞きます。食料もなく労働意欲もなくでは、良い方向へは向かいません。

 かつて、半島からのすばらしい文化や技術や習慣の交流があった隣国なので、もっと元気であってほしいと思います。
 もちろん、日本が戦争に巻き込んでしまったことが原因でもあるのですが、日本も敗戦したので口出しも手出しもできなかったのが実情です。アメリカに引き受けられた日本・韓国は、国際化できました。しかし、ソビエトが引き受けた北朝鮮は、先にソビエトが崩壊してしまうという苦難に見舞われてしまいました。

 世襲は三代続かないのが世の常なので、たぶんこれからさらにキビシイことになると予想されますが、日本は様子を見るというようなことを首相は言っているようです。しかし、ここはチャンスなので手を差し延べてはいかがでしょうか。
 北朝鮮がなくならないように政府の手助けをするのではなく、北朝鮮人民がしあわせになる手助けです。

 たとえば、潰れたらたいへんなことになると銀行や東京電力を救うのではなく、一度なくしてでも市民を救うべきです。ダメなものは潰れた方が良いに決まってます。
 新しい国になったり、南北が統一しても、国民を救う援助なら、お金でも自衛隊でも送って良いと思います。

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2011.12.15

他人の目

 僕は、なるべくこだわりを持たずに、日々をおだやかに過ごしたいと願っているので、じつは記事にするネタがあまりありません。子供のころから一貫して他人に興味がないので、いつも好き嫌いの話になって申し訳ありません。

 中学校の同期会で、同級生の女子に「アクタが、うらやましいと思ってた」と言われて「どうして?」と尋ねると「アクタは、ひとりでいても平気な感じがしてて、いいなと思ってた」と言うんです。
 学生時代って、女子も男子もグループをつくりがちですから、だいたい目立つグループも目立たないグループもあって、双方の交流は少なくなっていくものですが、僕はどっちとも仲良くて、けっきょくどこにも入っていなかったのでしょうね。

 たしかに、ひとりでいても平気でしたし、文字にすると一匹狼みたいでカッコイイ印象を持たれるかも知れませんが、ただ学校にも友達にもあまり関心がないので執着がなかったのだし、いつも同じ人と一緒にいる意味やたのしみにピンとこなかっただけです。つまりは、ぼんやりとだれとも同じような距離をおいて接していたのでしょう。面倒くさかったんです。

 ところで僕は帽子が好きで、いくつか持っているものを気分や服装で使い分けていますが、帽子をかぶっているとカッコイイとかオシャレだとか言われることがたまにあります。
 けれども、実際は格好つけることにもお洒落にも、ほとんど全く興味がありません。ほぼ、こだわりもありません。
 僕の帽子を指摘されると、帽子は男の身だしなみなので、あなたもかぶったら良いですよと言うようにしています。事実は、ただ好きでかぶっているだけだし、目的の四十パーセントは朝寝坊の寝癖隠しです。

 帽子を勧められると男の人は「似合わないから」と断る人がとても多い。しかし、帽子なんて不自然なもの、たいていだれでも似合いません。僕だって、似合うと思ってかぶってはいません。
 きっと、そう言う人は帽子以外の服や靴やメガネやネクタイは似合っているという自信があるのでしょう。
 日本人にジーパンや背広や、ブーツやミニスカートが似合うとは思えないのですが、そこは気にならないのでしょうか。たぶん、みんながしていることは平気なのだけれど、自分だけがするのは恥ずかしいという気持ちもあるのでしょう。それが逆にダサイファッションだと気づかないで。
 流行ではないのに、オタクがみんな同じ服装をしていたり、競馬場や競輪場にいる老人も同じ格好をしているのがそうだと思います。

 いまは若い人たちに帽子がはやっているけれど、中折れや山高帽のフェルトの帽子をかぶって電車なんかに乗り込むと、けっこう見られているのがわかるときがあります。お茶会に行くのに和服を着て歩いていると、そうとう目立つのもわかります。マントを羽織って早足で歩いているときに、すれ違った親子連れの女の子に「カッコイイ」と言われたこともあります。
 まあ、見たい人は見てくれて全然かまわないと、思えるかどうかなんです。他人の目を気にする人は、ここで恥ずかしいと感じてしまうのです。恥ずかしいことは、やりたくないのでやめてしまいます。

 けれどもですよ。けれども、他人の目を気にして自分を変えてしまうなんて、つまらないことだと思いません?
 清志郎さんも「他人の目を気にして生きるなんて、くだらない事さぁ」と歌っています。
 だれだって、カッコワルイよりもカッコイイと思われたいでしょうけれど、他人の目は他人の意見ではないので、必ずしもカッコワルイと思われているとは限りません。思わず「カッコイイ」と言っちゃう子供もいるくらいですから。

 しかし、カッコイイと言われるのも恥ずかしい、照れてしまうという人も、世の中にも僕のまわりにも大勢います。
 本当のお洒落は、相手の印象に残らないものだと、英国の紳士などは考えるようですから、他人に感想を持たれること自体が恥だという考えもあるかも知れませんが、なにもそこまでカッコつけなくても良いのではないかと、僕なんかは思います。

 僕は格好つけることに興味はないのですが、格好つけない方がカッコイイと思っています。
 禅問答みたいですが、つまらないこだわりはカッコワルイということです。
 カッコイイ服装は、格好つけてるみたいだと思うのはまちがいです。カッコイイ服とカッコつけた服は、別もの。わざわざダサイ格好をすることはありません。
 きっと、自意識がありすぎて他人のこともすごく気になるのだろうけれど、そんなにみんな他人のことなど気にしていないと思いますけどね。

 僕は四十歳ですが、いままで自分で服を選んだことは二十着もないくらいです。この間買った、山高帽も妻に選んでもらいました。自分が気に入ったものだと、たぶん似合わないんで。シャツがほしいなとか、帽子がほしいと思っても自分ではまず決めません。全然自信がありませんから。他人が良いと言う方を買います。

 自意識過剰な人は、他人の目は気にするくせに、他人の意見は聞きません。妙なこだわりがあるので、まわりが似合うと言っても受け入れず、もしもそのとおりに購入しても箪笥の肥やしにしてしまいます。服装だけじゃなく、食べものでも行楽でもなんでもかんでも、イヤだイヤだが多くて面倒くさい。

 僕は他人の目は気にしないけれど、他人の意見にはけっこう素直です。

 こだわっていること以外では。

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2011.12.07

第百十六段「名付け」

  僕はなるべくこだわりを持たずに暮らしているのですが、スキキライはけっこうあって、意外なのか意外でもないのか偏屈な人だと思われることもしばしばあります。


 スキという漢字は──僕は現在の中国(中華人民共和国)が全くスキになれないので、漢字も大キライ。なにも、漢とか呉とかの王朝にはなんの怨みもないどころか、その文化はすばらしいと思っているのですが、できるだけ漢字を使わないようにこの文章も書いています──「好」女の子と書きます。


 だから女の子が好きという話ではなくて──たしかに女の子は基本的に好きでも──女の子の名前で好きなのは「ゆうこ」「ようこ」が断然トップです。

「こ」は、たいてい「子」ですね。聖徳太子や小野妹子の時代では、男子の名前でしたが。明治の後半に華族で流行して、大正時代に一般にもほとんど女性の名前が○○子になったそうです。


 僕は幼稚園で図工を教えていたり、息子が保育園に通っているのですが、女の子で子がつく子は激減していて、ほとんどいません。僕の同級生には、かなり子は多かったと思います。「子」「美」「恵」「代」は女の子の名前の四天王でした。

 いまは変わった名前が多すぎて、少々変わっているくらいでは、もうおどろかなくなりました。


 僕らの世代では「愛」ちゃんは「アイ」ちゃんでしたが──愛と書いてメグミなんていうのもありましたけれど──いまはたいてい「マナ」ですね。愛娘ですから、まちがってはいません。

 ふつうはアイだと思うのですが、あえて稀少な読み方を選んでいます。読み方がある字を使っていれば、夜露死苦とか愛羅武勇とか暴走族の落書きみたいな、アニメキャラか外国人みたいな名前でもなるほどと思えるのですが、字と音が合っていないと感心する前にポカーン……としてしまって面白さがわからなくなってしまいます。

 たとえば、愛をラブとか、天使をエンジェルとかいう名前です。「光宙」はピカチュウ「月」はルナくんだそうです。もうスペースコロニーで生まれた子供みたいです。


 しかし、読みにくい名前なら昔からあります。乃木希典、蘇我入鹿、細川護煕、寿限無なんて知らなかったら、んっ? って一時停止しそうです。


 では、問題です。いくつ読めますか?


 絆星、 綺月、雲苺、来星星、空星、聖母、耀桜、雪花月、妹香、来星、姫星來、水晶、姫煌、可憐、騎星星、秋桜、姫星星、輝笑、妃藍、姫美々、雪花々、綺羅星、瞬、輝、煌來、姫空、星花、流星、星姫、綺星、姫星、希空、稀月、綺瞳、聖羅愛、京世、希望、美星、星輝、星愛、希星、雪麗、煌藍、姫輝、星空、妃愛、星々、輝姫、葵星、輝花、希愛、星音、輝星、光星、輝良、煌々、貴愛。


 これは、実際にいる女の子の名前で、全て「キララ」と読みます。むつかしい漢字も呆気にとられますが、キララと聞いてさらに目が点になりませんか。

 幼稚園の名簿には、はじめからルビがふってあります。ほぼ全員が珍しい名前なのですが、中でもこれはスゴイと思った園児は名前の凄さもさることながら、なぜか教育困難生徒が多くてすぐに顔も覚えます。


 余談ながら「昴」は、れっきとした日本語で、古よりの天体の呼び名です。プレアデス星団という散開星団。自動車のエンブレムに六つの星が描いてある、あれです。

 昴くんは、純日本名ですので、大和くんとか武尊くんの仲間と思いましょう。


 難読名前の子は、入試や就職で苦労する可能性が高いと指摘する評論家もいます。それは、その子に問題があるのではなくて、親に常識がないと思われてしまうからだというのです。学校では子供以上に、いまは親とのトラブルを避けたいので、面接ではやはり色眼鏡で見られるだろうと。


 吉田兼好は「人の名も、目なれぬ文字をつかんとする、益なき事なり。何事も、めづらしき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ」 と、徒然草に書いています。

 浅知恵な人は、変わった名前をつけたがるというのです。

 よく古代エジプトの壁画に「いまどきの若い者は」と書いてあると聞きますが、日本でも昔からヘンテコな名前をつける親は、浅才なやつだと思われていたようです。


 浅はかだとまではいいませんが、こんなところでしか自己主張ができないのかと思うと、ちょっとかわいそうな気もします。ほかに勝負するところは、なかったのでしょうか。

 難読名前の生徒が多い高校大学は、偏差値が低いという傾向があるそうです。


 名は体を表すといいますが、名前に自分の人生を左右されてることはないのだけれど、親や家庭の環境は、かなり影響をあたえますから、面接で落としたくなる気持ちもわかりますし、勉強できない子が多いのも体験として頷けます。


 敦子、優子、由紀、麻里子、麻友は、ふつうに読めますが、これは二千十一年のAKB48総選挙の上位五人です。「子」が三人も入ってます。「ユウコ」もいます。子には、なにかありそうです。


 画数がわるいから「。」をつけるなんて言いだすよりも、大切な子供が良く正しく真っ直ぐに育つよう、見守ることこそがだいじです。


 ついでながら「ユカリ」ちゃんは、九割方かわいいです。


 キララちゃんは、キララちゃんの顔をしているのでしょうか。

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