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2011年6月

2011.06.15

節電しません .

 電力会社は毎年夏になると契約者に節電を呼びかけています。クーラーの設定温度を低くしすぎないとか薄着をするとか打ち水をする、ゴーヤを植えるのがはやったこともありました。けっきょく夏の冷房で使う電力が急に上がるのですね。

 電気、使いすぎです。

 太陽光発電を推進して、使わないときの電気は電力会社が買い取るようなことをしている一方で、家庭をオール電化にして電気をたくさん使うようにすすめてもいます。
「節電しましょう」と「全部電化」は相反しますよね。筋がとおっていない言動をする人は、信用できません。
 組織が大きくなって複雑になると、発足当初は共通の目標を持って集まったのに、だんだんと目標が薄れていき組織を維持すること自体が目的になってしまい、ポリシーがなくなることがよくあります。
 内閣不信任案騒動のときの首相と前首相が取り交わした約束メモの一番目にも「民主党を壊さない」と書いてありました。震災復興については、最後でした。きっと最初は、なにか志があって政治活動をはじめたのかも知れませんが、いまとなっては国民や被災者は、政党よりも後回しです。

 僕は基本的に絵描きなのですが、日本にはたくさんの美術団体があります。有名なものでは「日展」これは日曜画家展の略だと思いますが、巨大な組織です。芸能人が多い「二科展」というのも良く聞きますね。有名人を入れて集客をねらう戦略を東郷青児さんが会長のときに考え出したそうです。

 美術団体をつくるときは、新しい美術をつくろうとか自然に学ぶとか抽象絵画の集まりだとか思想的な共通から集団になるのですが、それを維持しようとすると会員を増やしたり客寄せパンダを入れたり、考え方とはちがったところで色々と変化していきます。
 たいてい団体主催の公募展覧会を年に一二回開くものですが、出品審査料を稼ぎたいのか入選展示作品は年々増えていきます。

 僕も仲間や知り合いが出展していると見に行きますが、点数が多すぎて全部をしっかり見るとたいへん疲れるので、目当ての絵以外はなるべくサラリと見ています。
 サラリですが全体を見て思うのは、どの団体も近頃はそれほど個性がなくなってきていることです。抽象も具象も入り交じっているし、「新」とつく団体ももはや新しくないし……。組織に入ることや美術の先生になることを目指さないのなら、現在の公募団体展には、恩師とのしがらみ等がないなら、若い人は出す意味があまりありません。参加することに意義はない。
 でも、公募団体への加入を目指して制作・出品している人たちは、コンスタントに大作を描いて個展やグループ展を開いたりもして、キチンと創作をつづけている点はとても尊敬します。僕は締め切りがないので、どうも怠けちゃってダメですね。絵を描くのは大好きなはずなのに。

 大震災が起こると「義援金」という言葉をよく見かけるようになりますが、言葉の意味もだんだん変るものです。
 現在は「義援」と書かれることが多いのですが、これは当て字です。お手持ちの国語辞典を開くと「義捐」と書かれているはずです。敗戦後の漢字制限で「捐」が表外字になったので、まるで意味のちがう「援」という音が同じなだけの字に書きかえられました。
 日本人は知らない言葉が漢字で書かれていると、漢字に意味があると思いこんでいるので「援」は救援とか援助とか「たすける」意味と取り違えてしまうようです。もとの漢字「捐」は、捨てるの意味です。さらにわかりにくいのは「義」も義理とか仁義というよりも、大義・公共といった意味です。

 だから、義捐金をいくら出しましたとか賞金は義捐金にしますとか、アピールしたりするのは義捐金ではありません。義捐金が被災者に渡っていないとか怒るのも筋違い。そもそも捨てたお金ですから、どう使われようと干渉しないものです。

 日本が欧米に習って電力網を国中に張り巡らせるときは、世のため人のための政策だったのでしょう。
 たしかに電気自体はとても便利なものです。どんなエネルギーもコントロールできれば便利にちがいないのですが、タバコの火だって使いまちがえたら家くらいは簡単に燃やします。危険なものだという認識のあまさから来る不注意です。
 慣れてくると注意力が薄れることは良くあること。初心者は小さな失敗をよくするものですが、慣れて気がゆるむと大きな失敗を犯します。
 日本中に必要なだけの発電力をもつエネルギーは、出来上がる電力量よりも大きいはずです。そんな巨大なものを扱うのに慣れられては困ります。

 しっかりと仕事に集中して節電を呼びかけるならまだしも、オール電化なんて誰の懐が潤うんだかわからないようなものを勧めたうえに太陽光発電に補助金を出したり。いったい世の中に電気は足りているのだか足りないのかもわかりません。
 しかも、不注意から放射能をダラダラと漏らしているし。
 こんな金儲け主義の電力会社と日和見な政府のために節電をするなんて、まっぴらです。

 病院など、停電になっては困る機関は真夏までに東京電力以外の電気を確保していただいて、今年の夏はちゃんと電気を使って、東京電力に目にもの見せてやれば良いんです。
 大停電くらいでは、たぶん少しも反省なんかしないのでしょうけれど。

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2011.06.08

おなじアホなら .

 六月二日、民主党管内閣に野党から不信任案が提出されました。

 これに与党民主党の中から、小沢さんや鳩山さんが賛成票を投じると表明して一騒動が起きました。本来、野党の提案に乗っかって首相の交代をするのはまちがいです。同じ政権政党内で総理の退陣を望むなら、党大会でも飲み会でもなんでも開いて、話し合いのうえで民主党代表選挙をおこなうべきです。

 内閣不信任案は、けっきょく賛成した民主党議員は二人だけで否決されました。賛成したい気持ちはわかりますが、組織の一員としては反対するのが当たり前です。できれば組織を維持したい鳩山さんは、管総理が早期に辞任するという約束をとりつけて、民主党は一致して不信任案に反対するように努めました。

 しかし、否決されたとたんに菅さんは、辞める気はないと言いだしました。
 僕は仕事の昼休みに、テレビで衆院本会議前の民主党代議士会での菅さんの演説を聞いて「菅さん、ヤメルとは最後まで言わなかったね」と話していたのですが。「若い世代に引き継ぐっていうのは、辞めるってことじゃないのか?」と言う人もいました。

 けれども、管はそんなにお人好しではありませんでした。
 鳩山さんは退陣の条件を文書にもしていたのですが、肝心の「退陣条件」ということがどこにも書かれておらず、さらにはだれの署名もされていないことが明らかになりました。政権公約でさえ反故にするような首相たちですから、こんな紙っぺらになんの力も責任も持たないことには、もう僕たちはおどろきませんが、鳩山さんの方は少々お人好しですね。
 小沢も鳩山も、完全にコケにされましたね。二人ともお坊ちゃん育ちなので、基本的に人を信じて丸め込まれてしまうのでしょうか。

 もともと菅さんでは何も進まないから、野党の不信任案でも賛成して立て直そうと表明していたのだから、管さんが辞めると言ったとしても、すぐに辞めないなら賛成して退陣させれば良かったのです。
 だって、管さんは延命演説で「不十分だった」と何度も何度も、自分の対応が不十分だったことを強調していましたが。それは全く言葉の履き違えで、僕の見解では管直人は十分に対応しました。
 ただ、能力がなかったのでできなかっただけです。たぶんこれが、全力です。きょうからがんばりますと言ったって、無理なんです。

 たとえば百メートルを十秒で走る選手に「今日のレースは九秒で走れ!」「はい。九秒で走ります!」といったところで無理なものは無理。もし厳しい練習を重ねれば九秒になる可能性があったとしても、今日のレースには間に合いません。
 政府の復興対策にも、練習している有余はありません。
 自分の地位延命のために仲間を欺くためのトリックを考える余裕があったら、もっと他に考えて決めなきゃならないことがたくさんあります。いくら日本人が忍耐強いと海外から評価されても、何の役にもたたない内閣をいつまでも買っているゆとりは、いまの日本にはありませんよね。

 こんな(震災で傷ついている)ときに、選挙なんてやれないと言う人もいますが、そもそも国民の半数も参加しない選挙なのだから、やれる限りでやっちゃえば良いんです。AKB48・22ndシングル選抜総選挙なんて、お金を払って投票するのに、三回目の今年は異様に盛り上がっています。ラジオやテレビやインターネットでは、毎日のように話題にしていますね。とくにAKB48ファンではなくても気になります。ませんか?
 僕の予想は大島優子さんの二連覇ですが、実際にはちっとも詳しくないのでわかりません。けれども「踊るアホウに、見るアホウ。同じアホなら、踊ろぜワイアイ!」といまは亡きモーニング娘。(ありますよ~)のナッチも言っていました。古ッ……。馬券を買わずに競馬を見たって、野生の王国で草原を走っている馬を見るのと一緒です。また古ッ……。選挙に行かずに菅直人に文句を言ったら、菅直人と同じくらい卑怯者です。

 ということで、ここはひとつ騒ぎに乗っかって一票を。
 僕の持論で「十四歳がいちばん美しい」というのがあるのでSKE48の松井珠理奈さんを推したいところですが、俄かファンですから、やはり興味を持つきっかけとなった、ザ・AKB、ミス・AKB、これぞAKB、高橋みなみさんに一票。横山由依さんら下の世代がどんどん頭角を現しているので、今回三位に入ってほしいという願いを込めて。

 民主党政権なんて、AKB総選挙以上にお遊びみたいなものでしたから、こんな時期でも本当に解散総選挙でもなんでもしてほしいものです。
 一夜明けたら、こんどは八月頃には辞めるだろうなんて噂を流したりして、自分では発言せず様子を見たりしてみっともない。すぐにでも辞めてくれと、多くの人が望んでいるのに。
 政治不在を心配する人もいますが、政治不在で現場や官僚に任せた方が、現状よりはずっとはやく復興されるはずです。

 どんな組織、会社でも部活でも、上に立つ人の頭がわるいと、下で動く者は困ります。実力も発揮できないし、提言にはたいてい腹を立てるし、ギリギリまで上で仕事がストップしているから締切間近に急いでやらされるなんてこと、経験ありませんか?

 自分が嘘つきだと、他人を信用できないから、はじめから任せるということができないのでしょうね。
 きっと信じてはもらえないでしょうけれど、世の中はそんなに嘘つきばかりじゃありませんよ。

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2011.06.02

おとこらしく .

 電車に乗っていて、スーツの上着の前裾をはだけている、だらしないサラリーマンが気になる話を書きましたが、電車に乗っていると他にもいろいろなことが気になります。
 でかい鏡をだして、白粉から口紅、マスカラ、アイシャドーまでして、乗ったときと降りるときでは別人に変身しているブスな女の子とか、携帯電話で話をしながら乗り込んできて、まあどうでも良いような急いでもいない話を延々としている口が半開きな男の子とかが目につきますが。一番気になるのは、シートに座っている男子です。

 足を投げ足しているとか、股をおっひろげているとかいう行儀の悪さではなくて、座っていること自体がとても気になります。
 もちろん、座ったらいけないということは決してないのですが、老人や女性が立っているのに、平気で座っている男子の気持ちが気がかりです。中には、駅に着いてドアが開くと、急いで入ってきて我先に空いている席に座る若い男の子もいて、嘆かわしいものです。そういう人は、たいてい格好もだらしないし、もちろんスーツのばあいは前ははだけていますし、顔つきも精悍さに欠けます。自分のことしか考えていないので、卑しい顔をしています。

 むかし『パペポTV』で上岡龍太郎さんが 、シルバーシートなんていらないと言っていました。年寄りや女性やけが人に席をゆずるなんてあたりまえのことなんだから、車両の端っこに「立っていられない若者のためのシート」を設ければ良いということでした。全く賛成です。
 目の前でおばあさんがよろけていても、赤ちゃんを抱えたお母さんや、「おなかに赤ちゃんがいます」キーホルダーをかけた女性が乗ってきても誰も席をゆずらないような教育って、うまくいっているのでしょうか。
 僕は子供を抱っこしていたり、ずいぶん空いていないかぎり、あまり座らないようにしているので、譲ってあげようにも譲れないのでイライラします。

 最近は、「男は、男らしく。女は、女らしく」なんていうとフェミニズムやらジェンダーやら、いろいろと面倒なことになる世の中ですが、男性からも女性からも「らしさ」がなくなってしまったのが、結婚できない一番の理由ではないですかね。
 男らしさというと、日本では武士道、イギリスでは騎士道や紳士的という精神に代表されるものだと思います。日本とイギリスだけではなく、たいていの国にこういった考え方は、古くからあるようです。

 共通する理念は「困難に立ち向かう強い心」「卑怯なことはしない」「他人のせいにしない」といったところでしょうか。
 そしてどの国の男も、女性に優しく、大切にするということです。

 けれど、知らない人に優しくするというのは、恥ずかしいし尻込みするし気がひけますよね。だから、親切にすれば良いのです。


 僕は、基本的に優しくない人柄なのですが、良く優しいと勘違いされることがあります。
 なんでかなあ? と思っていたら、美術学校の先輩の女性が「優しいんじゃなくて、親切なだけだよね」と言ってくれて。なるほどそのとおり。親切な行動を、優しいと勘違いしていたのか、表現していたのかだったんです。優しさは愛情からですが、親切は反射神経ですから、なにも考えなくてもできるんですね。

 僕はたいして男らしいとはいえませんが、電車の座席を争ったり、歩きながら煙草を吸ったり、不信任案を出されたりはしません。

 国民の代表である総理大臣が、いまはサイコー(サイテー?)に男らしくないので、こんな時代に育つ子供には、特に親の導きは大切になると思います。
 さんざん嘘をついて、自分の無能を隠すためにさらに嘘をつき、あげくに最後は知らなかったと責任転嫁。困難にも立ち向かえず、卑怯なことばかりして、他人のせいにするという、最悪の日本人代表を選んでしまうような国ですから。六十代の人でこれですから、これからどんどんこんなやつらが権力を持つ可能性があるのです。
 どうにかしないといけませんよ。

 かつて、春風亭柳昇さんは「五十過ぎた人に意見をすることほど、無駄なことはありませんね」と言っていました。もうなにも変らないからだそうです。現在の国会議員のほとんどが、言っても変らない人たちでしょうね。
 昨年ブームになった坂本龍馬。彼は人の意見を聞くと、どんどん自分の考えを変えていけた人物です。岩崎弥太郎にしろ後藤象二郎、板垣退助にしても、土佐の人はコロッと豹変できるところがすごいところですね。大事なところはなにか、真剣に生きているから良いものがあれば貪欲に受け入れ変更できるのでしょう。

 自分の地位だけに固執して、時間稼ぎのために国民を、特に避難者を置き去りにしているような政治家とは格がちがいますね。

 自分のために努力するのは意外とむつかしく、やはりどこかで甘くなってしまいます。だれかのために努力すると、意外な力を発揮することがあります。

 自分のことしか考えず、携帯電話の画面ばかり見ていると、フッと顔を上げたときに、まわりにだれもいなくなっているかも知れませんよ。

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